自然生態系のサブシステム 2

人間がどんなに人工環境・人工都市を造ったとしても、それが自然環境と調和のとれた生態系のサブシステムとしてしか持続することが出来ません。


そういうことである以上、公害告発時代の70年代から80年初期にかけてのいわゆる小手先・個別技術的な対策だけによって解決できるという考え方はきわめて危険です。


個々の発生源に対しては、特に人の命にすぐに影響をもたらす問題に対しては、国も地方公共団体も労働組合も市民も、すべてを犠牲にして徹底的にその発生源を排除しなければなりません。


しかし、どれほど発生源対策をしたとしても、私たちがエネルギーを化石燃料や放射性物質から転換して電気をつくる場合に、各種のエネルギーを使って工場で製品を生産する場合・・・


また、その製品である自動車・船舶・飛行機などを使って移動し経済活動をすすめる場合に、すべての音も臭いも排ガスもゼロにすることは現代の科学技術では不可能です。


・・・とするならば、一方においては発生源対策を大いにしなくてはなりません。


それと同時に、他方で自然の多様性・生物社会の多彩なシステムの中で調和しうる理想的な自然環境の延長としての都市環境・産業立地環境・生活環境を考えることの方が急務というべきではないでしょうか。

自然生態系のサブシステム

基本的な環境の問題を、単に人間環境・都市環境という点から取り上げるだけでは不十分でしょう。


最近、都市生態系、アーバン・エコシステムということばもよく使われます。


石器時代に比べて一人あたりのエネルギーの使用量は何十倍にもふえているのです。


したがって、現在の都市生態系はかつての自然生態系・・・


つまり自然環境とつながっている生態系とは別物のように時に発言する声すら耳にします。


しかし、これは基本的にまちがいです。


人間がこの限られた地球上で生物圏の一員として住まわされている限り、どんなに一時的に便利で経済的・効率的な人工都市を造成したとしても、そこに住まわされている生物としての人間が健全に生きのび、豊かな知性・感性・・・


さらに遺伝子の活性を維持・発展させるためには、あらゆる都市生態系は自然環境に支えられた自然生態系のサブシステムとしてしか維持出来ないことを私たちは十分に知り、正しく理解すべきです。

環境問題は毒殺問題とはちがう 2

環境とは、単に一時的・部分的な個別の環境要因の羅列だけでなりたっているものではありません。


現代のまだまだ不完全な科学・技術・医学で見おとされている未知の要因も含めて、また新しい技術や産業の発展に対応して出て来るであろう未知の要因に対しての十分な先手の対応も先取りすること。


そうして、その総合されたあらゆる環境要因の総和を、そこに住まわされている生物・・・


つまり人間・動物・微生物、あるいはその集団の持続的な生存とのかかわりあいで見たときにはじめて、私たちは環境といいます。


そして、人間が人間独自の豊かな知性や感性をもとに固有の伝統に支えられた文化を築く能力をもっているとするなら・・・


まずは、人の命と心を守ることが環境の保護です。

環境問題は毒殺問題とはちがう

環境問題を考えるとき、日本では70年代よりこの方、環境問題と毒殺問題との区別がつかずに議論されていた節があります。


単一の有機水銀等の重金属その他の毒物によって、人の命や健康が侵されるのは環境問題以前の正しくは毒殺問題です。


毒は発生源において徹底的に排除すべきです。


また裁くなら当然刑事裁判の対象として厳重に法的に処置すべきでしょう。


しかし、人類文明数千年の歴史をみるときに、どんな毒物でも相手が毒とわかったものに対しては、少し時間と金がかかったかも知れません。


しかし、人類はさまざまな経緯をへて毒は抑え、逆にあるものは薬として使いきっているとさえいえるでしょう。


環境問題として考える場合、問題は別のところにあります。


どのようなことでしょうか。


その場所の、その地域の、その山・川・海岸地方の、自然の許容能力をこえるほどに山をけずり、谷を埋め、海を埋め立て・・・


こうして自然の多様性の画一化・貧化が強要されたときには、人間も含めてそこに住まわされている生き物の生命力・抵抗力が低下します。


これを生態学的な環境破壊といいます。


自然観の限界

戦後の急速な発展につれて1960年代から明らかになってきた公害・自然破壊に対して、1970年代はいわば公害対策、自然破壊の告発・対策の時代であったといえます。


その結果、日本では環境庁が1972年(昭和47年)に誕生し、個々の問題についてはかなりの成果をおさめてきたといえます。


しかし、人間も含めた生物社会、生態系、さらにそれを支えている自然環境との時間的・空間的な面からの総合的な実態についての基本的な理解・共通の見解が得られないままに、いわゆる非生物的・技術的な発想法による対策に終始してきました。


工場から出される廃水や排煙・排ガスその他の個々の発生源に対しては、それを克服しようとするための技術的な対策であるいは十分であるかも知れません。


そして、よく技術サイドの人たちが強調するように、技術によって出て来た公害は技術によって必ず克服し得るというのも正しいかも知れません。


しかし、秋の田んぼのバッタ取り戦法よろしく、たまたま出て来た硫黄酸化物、窒素酸化物、カドミウム、有機水銀、六価クロムなど・・・


これらの個々の汚染物質の発生源におけるコントロールだけでは環境対策としては不十分でしょう。

生き方を改める

生態系の食物連鎖の中では、消費者の間で「生物濃縮」します。


たとえば、植物性のプランクトンを今度は形の大きい動物性のミジンコなどのプランクトンが食べます。


何十匹も何百匹も食べます。


そこでまた濃縮されます。


それを小魚や小エビが食べ、さらに大きな魚が食べるのです。


ぜいたくな人間・猫やコウノトリは、もっとも栄養価の高い大きな魚を食べます。


・・・したがって、特定の薬物・毒物が、水の中で、また植物性プランクトンの体内ではいわゆる基準量以下であると測定されたとしても、それが人間の身体や高等動物の体内に入ってくる時には、しばしば何千倍あるいは一万倍近くも濃縮され、人や動物の死までもたらすのです。


このように見てくると、理想的な自然環境、人類が生きのびるための自然との共存関係についての環境の許容限度に対して、深い究明がきわめて重要でしょう。


しかも、それは単に科学的・技術的な対応策だけでは不十分です。


この地球上に住むすべての人たちが新しい時代に対応して、限られた地球上で、また地域で、まちがいなく孫子の代まで健全に生きてゆくために・・・


そのためには、自分も含めて、グローバルな生態系、それを支えている地域生態系の枠の中での生き方を考えるべきではないでしょうか。

自然の浄化力は無限ではない 3

生態学的にみると、人間は生態系の消費者同士の中でも食物連鎖のピラミッドで象徴されるように、システムの頂点に位置しています。


したがって、生態系のバランスがとれている範囲内であれば、人間は他の動物に対してきわめて競争力が強く、王者の位置に君臨していました。


しかも長い間、人間は自分さえ毒をくわなければ、まわりにどんな汚物を捨てても問題はなかったのです。


それはまわりの分解.還元者がすぐにでも分解し、緑の植物などが再生産に利用できるように大気・水・大地などの自然界に還元してくれたからです。


水も大気も土も自らを浄化し、生態系のバランスが保たれていたからです。


今や一面的で過多な活動によって、それぞれの地域・場所の大気・水・空気・土の分解・還元能力以上の廃棄物を、私たち人類はせつな的欲望を満足させるために周辺にまきちらしています。


それが、例えば川に捨てられた場合、また、海に捨てられた場合にどうなるでしょうか。


たとえ何千倍・何万倍に薄められようと、いくら薄めようとゼロにはなりません。


川や海の水の中には無数の集め屋である植物性・動物性のプランクトン・藻類や珪藻類がいてそれらを体内にとりいれます。


新しい物質は、しばしばすぐ排泄されないで体内で濃縮されるのです。

自然の浄化力は無限ではない 2

廃棄物のなかで、生活から生まれるごみは約1kg/人・日に達しています。


その内、自家処理率は年々減少してきて、現在では5%前後となっています。


廃棄物で大きな比重を占めるのが産業廃棄物で、約3億t/年も排出されているのです。


大量に出される産業廃棄物のなかで資源として再利用されている割合は少ないのです。


たとえそれがどれ程経済的であり、一時的に生活上の便利さ・簡便さがあったとしても、トータルとしてのそれぞれの地域の閉鎖システムとしての生態系・・・


さらにグローバルな地球的な規模の中での自然の強さ、分解・還元能力を十分に検討しないで、無視し甘えた結果、現在、環境に対してさまざまなひずみを与えてきています。


人間は、生態系の中でも消費者の立場にあります。


緑の植物が生産者とすれば、実は緑の植物に全面依存する立場でしか固有の文化も知性も感性も健康も維持出来ません。


結果的には、人間にしっぺ返しが行なわれてきているのではないでしょうか。


自然の浄化力は無限ではない

人間も含めて生物は、ある意味ではかたくななまでに保守的な一面をもっています。


新しい科学物質をすぐに分解・還元してくれるような新生物は出現しません。


たとえば、今まで科学者や技術者は一生懸命この地球上で、水の中、土の中、空気の中に生活している生物で、石油化学製品のビニールを食べて分解・還元してくれる生き物はいないかと探しています。


しかし、ビニール製品をすぐ分解するような生物は見つかりません。


それが今日までの実情です。


それぞれの土・水・大気などの汚染に対する浄化能力を十分科学的に研究・把握しないで、何とかなるであろうという自然の強さ・浄化力などへの過大の期待・甘えがあるのです。


「自然は無尽蔵に私たちに必要な物を生産してくれ、逆に私たちの邪魔物・廃棄物はどこに捨てても、あっという問に分解・還元してくれる」


・・・このような、まだ人間活動がきわめて低い段階であった石器時代と同じような考え方で現代の都市や産業立地に対応しているところに、さまざまな深刻な環境の汚染・荒廃問題の原点がひそんでいるのです。

理想的な自然環境とは

かつて日本では数百年あるいは千年以上の長い時間をかけて、ゆっくりとした町づくり・集落づくりが行われてきました。


自然の開発に際しても、人間は半自然性の生物社会の一員、生態系の構成メンバーとして、十分共存してこれたのです。


したがって川の浄化能力一つを例にあげても、よく古老がいっていたように、川に汚物を捨てても、三間下がれば川の水が飲めたといいます。


それは川に入ったものが生態系の生産者としての植物の落葉であっても、また消費者としての動物の排泄物であっても、川の中には無数の分解・還元者としてのプランクトンや珪藻類などがいます。


それらが、あっという間に分解・還元し、川は自らをきれいにしていたのです。


今日では、川が死に、池にアオコが発生し、海に赤潮がふえています。


それは、各地の川や海岸域の分解・還元能力、水質浄化能力に過大の依存をしすぎていた結果ではないでしょうか。


しかも、浄化能力以上の大量の生活廃棄物・産業廃棄物などが、すべて川や海に流されることに問題があります。


とくに問題なのは、新しい質の物質が捨てられることです。


長い時間をかけてゆっくりと多様なシステムを築いてきたのが現在機能している生態系ですが、その構成物質以外の、今だかつて自然界や人間の生活域になかったような新しい質の化学物質が、市民のさまざまな欲望に対応して、新製品を作る過程においてつくり出されているのです。

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